amazarashi式 武道館ライブ~新言語秩序と言葉ゾンビの空間へ~
言葉を取り戻せ
この言葉の存在感。武道館という舞台を使って、一つのライブ作品を作り上げたamazarashiの今回のライブは新しいライブの世界を広げたように感じます。
amazarashi 朗読演奏実験空間 新言語秩序
こちらのライブ映像作品のレビュー及び感想を書いていきたいと思います(^^
まず、このライブ。非常に新しい試みがたくさん行われたライブなんです!(唐突)というのも、ライブ当日までの間に、アプリの配布やライブに関係する小説の配信、CDのリリースすらもこのライブに向けての下準備のようなもので、長い時間といろんな媒体を利用してライブ当日を迎えるという、非常に壮大なライブになっています。
詳しい内容は長くなるので省きますが、言語規制が厳しくなった世界で描かれる「言葉」に対する物語とでも言いましょうか…?(簡潔すぎでは…?)
この物語が、ライブ当日までいろんな媒体で描かれていくわけです。正直、CDに関しては、この物語の展開を知らない初見さんにはとても厳しい内容で、今回のリリースで初めてamazarashiのCDを購入した人からは、賛否あったりもしたわけでございます。「それはまた別のお話」 で…(追々話します笑)
ぼちぼち内容に触れようか…
前振りが長くなりましたが、ここからはライブ映像に関しての内容を書いていきますね。とりあえず、再生してみて感じるのは日本武道館っていうのは独特な雰囲気があるし、会場も大きいし…、Blu-rayの袋もデカい!!笑
というのも、限定版を購入するとグッズとして服が付属されるんですね。服が入ってるものなんで、非常にサイズが大きくなりますし、Blu-rayディスクの入れ方もそのサイズ感に合わせているので、これまたデカい笑。今では、家のインテリアの一つと化しています(^^。
新しい試みの一つとして、スマホに入れたアプリがライブと連動するという、これまた設定とか大変だったんじゃないの…?ってなる要素が盛り込まれています。ライブが始まる前にアプリのテストをしていくぜい。っていう演出が入るのですが、ここでのお客さんのリアクションが非常に良い!。
当時、自分もライブビューイングで参戦していたのですが、全く同じ反応をしてしまいました笑。コールアンドレスポンスなどで、お客さんとの一体感を演出するのがほとんどですが、このアプリの演出が入った瞬間に一体感が一気に増した気がします。
攻めたセットリスト
セトリに関しては、あくまで今回の物語を印象付けるような楽曲の構成になっていますが、曲の繋ぎが抜群です(*^-^*)。さらに、ここぞという場面でアプリが反応し、スマホのフラッシュを使った演出が入ることで、ライブ全体の盛り上がりがドッと向上していきます。
ライブの途中では秋田さんの朗読が入ります。アプリで公開されていた小説の朗読です。実際に読んでいるのか、事前に録音したものなのかはわかりませんが、声色や会場の雰囲気も相まって、非常に引き込まれる朗読になっています。
個人的感想としては、「命にふさわしい」と「カルマ」が良い感じです(^-^)
魂削ってる感じといいますか…。言葉のリフレインや、たたみかけるような語りが、あまりこの言葉に頼りすぎるのもアレなのですが、いわゆるエモいという表現がバチっとはまると思います。見ればわかります(見れば伝わる)
物語の最後は…
最後の朗読。ここはリアルタイムで見れたことが凄い贅沢だなと感じました。今はいろいろと情報が解禁されてしまっているので当時ほどの鳥肌感は味わいにくいかもしれませんが、複数エンディングがあるような作品が好きな人には良いかもしれません(^^)。この朗読からの「独白」。この流れは、今回の武道館ライブだけでしか実施できない演出になっているので必見です…!。
「独白」という曲、「リビングデッド」というシングルにも収録されていましたが、その時は言語規制がされてしまっている状態という演出のため、ノイズが入って一切聞けないという仕様でした。これが賛否がわかれたんですよね…w。お金出して買ったのになんだあれは!とか(規制される…)
この武道館ライブのラストをかざる曲というよりかは、この武道館ライブで行われた物語を終わらせる曲。という印象が強いです。ライブの演出もそうですが、連動するアプリの演出も凄くてですね…。最近になって、アプリにアップデートが入りまして、Blu-ray映像の音にも反応するようになったとのことなので、ぜひご購入して確かめてみてください…!
言語規制の皮肉…?
「独白」についてもう一つ。現在では差別用語とされる単語が歌詞の中に入っています。ビューイング当日は普通に中継されたような気がするのですがどうだっただろうか…。「独白」はライブ終了後、アプリにて楽曲の再生ができるようになっていたのですが、ここでは規制されていました。映像作品になったときはどうなるのかなぁと思っていたのですが、ここでも規制されています。
ここで『言葉を取り戻せ』が新しい意味を持ってくんですよね(謎自論)
ライブ当日は新言語秩序の言語規制を回避しましたが、物語が終わった現実世界ではまだまだ言語規制を回避するのは難しい。自由な表現ができるよう、これからも言葉を取り戻し続ける必要がある。そんな皮肉が込められているのかなと思います...。
この映像作品が発売された以降のアルバム、映像作品では規制はなくなっています。
言葉を取り戻し続けた結果なのかなと思っています…。
初めてまとめてみましたが、これからもこんな感じになるかと思います(-ω-)
ではでは、またどこかで~。
amazarashi
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